台東区社会教育団体「親子でどんぶらこ」のブログです!
第3回を迎えた今回は世田谷の冒険遊び場へ見学ツアー、
10組を超える親子連れが東京の東から西へと大移動しました。
風のない穏やかな一日、駒沢はらっぱプレーパークは土と木と水と火の祭典。
親も子も時間を忘れて思い思いに遊びました。
(ツアーの様子は見守りスタッフをしてくれた谷根千まち学の"はる"さんのページにも紹介されています)
10組を超える親子連れが東京の東から西へと大移動しました。
風のない穏やかな一日、駒沢はらっぱプレーパークは土と木と水と火の祭典。
親も子も時間を忘れて思い思いに遊びました。
(ツアーの様子は見守りスタッフをしてくれた谷根千まち学の"はる"さんのページにも紹介されています)
☆
「プレーパークのモットーは『自分の責任で自由に遊ぶ』。
なかにはこれを聞いて『なんだ自己責任か』と考える人がいるけどちょっと違う。
むしろ、自由に遊ぶためには自分も責任を持たないといけませんよ、という、大人にはちょっと耳の痛い言葉」
世話人代表の三輪さんにご挨拶をいただき、母さん父さんたちもフムフム納得。
「子どもは生まれながらに失敗も怪我もすべて自分で引き受ける。責任がどうなんて説明する必要もないよね」
そのとおり!
☆
今週の「ちびぱく」のメインプログラムはネギもちづくりでした。
マイお椀&箸とネギもち材料代(大人300円、子ども100円)をおつかいのように持ち寄って、さあさネギもちづくりのはじまりはじまり~
包丁を取り出してネギを刻む子もいれば薪をひろい集めてお父さんと火をおこす子もいて、遊び場は大盛り上がり。
平たくつぶした生地にゴマ油と刻みネギをのせてグルグル巻いて、ニョロニョロ伸ばしてもう一度グルグル巻いて、真剣なまなざしの子どもたち。
かたわらには量産されていく大きさも形もバラバラのカタツムリたち。
そばでは冬でも大好き水遊び。
草ぼうぼうの斜面に水路をうがって流れる川。
下流の湖では三匹の怪獣が大暴れ。ダンプも三輪車も水没。
お決まりの滑車ロープや、
ウォータースライダーももちろん。
遊びつかれて帰ってきた子どもたちをお待ちかね。
カマドに据えられた鉄板のうえで所狭しと湯気を上げるネギもちたち。
☆
つづいては私家版はらっぱ案内です。
リーダーハウスは木立に囲まれた大草原の小さな家。
裏に回ると屋根への上り口。
「落ちて怪我する危険のない年齢にならないと上れない高さ」
屋根の上からのぞむはらっぱ。
そしてうっそうと生い茂る裏の森。
隣にはこじんまりとした児童遊園もあり。ちょっとお手洗いを拝借。
はらっぱと児童遊園を結ぶ螺旋階段。
「ここから下りて行っちゃダメ、という親もいる。見えない壁が立ちはだかっている」
廃材小屋の屋根の上は、大きい子たちの憩いの場。
こちらではベーゴマ大会も開催中。
日本選手権の帰りに寄ったというツワモノも。
母ちゃんたちもマンモスの廃墟に乗り込んで得意げ。
日が傾くまで思いのままに遊びました。
☆
「僕らがやっているのは子どもを真ん中の地域づくり。プレーパークづくりはまちづくり。排他的になりがちな自分自身を毎日戒めながらやっている」
「プレーパークを立ち上げたのはみんな乳幼児の親たち。はじめから高望みしない。5年10年して子どもが大きくなるにつれ、異年齢の関係ができてくる。遊び場も子どもたちと一緒に成長する」
「誰もお客さん扱いしないこと。お客になった瞬間に文句を言いたくなるしお金のことが気になり始める。『税金使ってやってるくせに…』と言われたら行政と同じで言い返せなくなる」
「プレーリーダーの仕事は子どもを預かることではない。子どもの遊ぶ環境をつくること。そして自分自身が体を張って子どもの遊ぶ環境になること。わが身を投げ出して子どもたちに与えるのが選ばれた大人の仕事」
「『~しないと』という考え方は団体をつぶす。それぞれが得意なこと、やりたいことをやる」
「団塊の世代の男は子育ての喜びと引き換えに経済発展を手に入れた。この国は今も変わらない。僕は一生かけてこの世代と喧嘩しつづけるつもり」
なんで父親が子育てに関わる必要があるのか、ひとり親歴30年のセンパイ父ちゃんの言葉はやっぱり重かった。
父ちゃんになりたい人もなりきれない人も、はたまたならせたい人も、お誘いあわせのうえぜひゼヒはらっぱへ!
☆
遊び場づくりに関わるものとして、はらっぱの人数や規模、樹木の多さ、そして大人の手入れの具合は他のどこよりも参考になるものでした。
プレーリーダーのコバも一年目とは思えない堂々ぶり。世話人ほかリーダーを支える体制の充実を感じました。
火をおこしていてふと見上げた光景が思わず子ども時代の原風景と重なりました。
何度言われても大人の言うことを聞かない子どもや危なっかしいことばかりする子どもも、僕らの遊び場にはたくさんいたのでした。そんな子たちは今どこへ行ってしまったのだろう。
はらっぱの子どもたちがそんな古い記憶を呼び覚ましてくれました。
さて、私たちもこれからが本番です。
それぞれの心に染み込んだこのイメージをどう形にしていくか。
次回学級では日本初の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」の初代プレーリーダー、
現在は遊び場づくりの唯一の全国組織「日本冒険遊び場づくり協会」の副代表の
天野秀昭さんにお話を伺います。
最終回は自分たちの夢の遊び場のイメージを思いのままに描いてみたいと思います。できあがりをお楽しみに。
並行してターゲットエリア選びも進めます。
お寺や大学など、谷根千には公園以外にも遊び場として可能性のあるエリアがいっぱいです。
ここでもネットワークづくりがポイント。どんどん広げよう友だちの輪。
先を行くセンパイたちに、追いつけ追いこせの気持ちでいきたいと思います。
PS.
最後にちょこりと、日本の幼児教育の父と呼ばれる倉橋惣三のこの言葉を紹介します。
「プレーパークのモットーは『自分の責任で自由に遊ぶ』。
なかにはこれを聞いて『なんだ自己責任か』と考える人がいるけどちょっと違う。
むしろ、自由に遊ぶためには自分も責任を持たないといけませんよ、という、大人にはちょっと耳の痛い言葉」
世話人代表の三輪さんにご挨拶をいただき、母さん父さんたちもフムフム納得。
「子どもは生まれながらに失敗も怪我もすべて自分で引き受ける。責任がどうなんて説明する必要もないよね」
そのとおり!
☆
今週の「ちびぱく」のメインプログラムはネギもちづくりでした。
マイお椀&箸とネギもち材料代(大人300円、子ども100円)をおつかいのように持ち寄って、さあさネギもちづくりのはじまりはじまり~
包丁を取り出してネギを刻む子もいれば薪をひろい集めてお父さんと火をおこす子もいて、遊び場は大盛り上がり。
平たくつぶした生地にゴマ油と刻みネギをのせてグルグル巻いて、ニョロニョロ伸ばしてもう一度グルグル巻いて、真剣なまなざしの子どもたち。
かたわらには量産されていく大きさも形もバラバラのカタツムリたち。
そばでは冬でも大好き水遊び。
草ぼうぼうの斜面に水路をうがって流れる川。
下流の湖では三匹の怪獣が大暴れ。ダンプも三輪車も水没。
お決まりの滑車ロープや、
ウォータースライダーももちろん。
遊びつかれて帰ってきた子どもたちをお待ちかね。
カマドに据えられた鉄板のうえで所狭しと湯気を上げるネギもちたち。
☆
つづいては私家版はらっぱ案内です。
リーダーハウスは木立に囲まれた大草原の小さな家。
裏に回ると屋根への上り口。
「落ちて怪我する危険のない年齢にならないと上れない高さ」
屋根の上からのぞむはらっぱ。
そしてうっそうと生い茂る裏の森。
隣にはこじんまりとした児童遊園もあり。ちょっとお手洗いを拝借。
はらっぱと児童遊園を結ぶ螺旋階段。
「ここから下りて行っちゃダメ、という親もいる。見えない壁が立ちはだかっている」
廃材小屋の屋根の上は、大きい子たちの憩いの場。
こちらではベーゴマ大会も開催中。
日本選手権の帰りに寄ったというツワモノも。
母ちゃんたちもマンモスの廃墟に乗り込んで得意げ。
日が傾くまで思いのままに遊びました。
☆
「僕らがやっているのは子どもを真ん中の地域づくり。プレーパークづくりはまちづくり。排他的になりがちな自分自身を毎日戒めながらやっている」
「プレーパークを立ち上げたのはみんな乳幼児の親たち。はじめから高望みしない。5年10年して子どもが大きくなるにつれ、異年齢の関係ができてくる。遊び場も子どもたちと一緒に成長する」
「誰もお客さん扱いしないこと。お客になった瞬間に文句を言いたくなるしお金のことが気になり始める。『税金使ってやってるくせに…』と言われたら行政と同じで言い返せなくなる」
「プレーリーダーの仕事は子どもを預かることではない。子どもの遊ぶ環境をつくること。そして自分自身が体を張って子どもの遊ぶ環境になること。わが身を投げ出して子どもたちに与えるのが選ばれた大人の仕事」
「『~しないと』という考え方は団体をつぶす。それぞれが得意なこと、やりたいことをやる」
「団塊の世代の男は子育ての喜びと引き換えに経済発展を手に入れた。この国は今も変わらない。僕は一生かけてこの世代と喧嘩しつづけるつもり」
なんで父親が子育てに関わる必要があるのか、ひとり親歴30年のセンパイ父ちゃんの言葉はやっぱり重かった。
父ちゃんになりたい人もなりきれない人も、はたまたならせたい人も、お誘いあわせのうえぜひゼヒはらっぱへ!
☆
遊び場づくりに関わるものとして、はらっぱの人数や規模、樹木の多さ、そして大人の手入れの具合は他のどこよりも参考になるものでした。
プレーリーダーのコバも一年目とは思えない堂々ぶり。世話人ほかリーダーを支える体制の充実を感じました。
火をおこしていてふと見上げた光景が思わず子ども時代の原風景と重なりました。
何度言われても大人の言うことを聞かない子どもや危なっかしいことばかりする子どもも、僕らの遊び場にはたくさんいたのでした。そんな子たちは今どこへ行ってしまったのだろう。
はらっぱの子どもたちがそんな古い記憶を呼び覚ましてくれました。
さて、私たちもこれからが本番です。
それぞれの心に染み込んだこのイメージをどう形にしていくか。
次回学級では日本初の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」の初代プレーリーダー、
現在は遊び場づくりの唯一の全国組織「日本冒険遊び場づくり協会」の副代表の
天野秀昭さんにお話を伺います。
最終回は自分たちの夢の遊び場のイメージを思いのままに描いてみたいと思います。できあがりをお楽しみに。
並行してターゲットエリア選びも進めます。
お寺や大学など、谷根千には公園以外にも遊び場として可能性のあるエリアがいっぱいです。
ここでもネットワークづくりがポイント。どんどん広げよう友だちの輪。
先を行くセンパイたちに、追いつけ追いこせの気持ちでいきたいと思います。
PS.
最後にちょこりと、日本の幼児教育の父と呼ばれる倉橋惣三のこの言葉を紹介します。
子どもにとってうれしいことは、
我等がいかに立派な人間であるかよりも、
我等をいかに十分に彼等に与えてくれるかである。
子どもにとって最も幸福なことも、
教育にとってもっとも肝心なことも、
恐らくこれに他あるまい。
我等は何をやるかでなくて、
我等自身を与えることである。
それだけが我等に出来る。
(倉橋惣三「幼稚園雑草」)
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
無題
はらっぱの素敵な紹介を、ありがとうございました。
羽根木プレーパーク、世田谷プレーパークでプレーリーダーとして働いていた僕が父親となり、我が子が自力で行かれるところにプレーパークがないことに一念発起して地域の人と立ちあげたのがこのはらっぱでした。我が子(娘2人)は、この遊び場で小学校入学の時まで朝から晩まで過ごしました(妻が自主保育を立ちあげ、そこで育ったのです)。その2人はもうすっかり成人しておりますが、その時代を今も懐かしみ「宝物のような時」だったと言ってくれます。親としては他に何もできなかったと思いますが、多くの人と力を合わせてあの場を生み出せたこと、それ以上のプレゼントはなかったと、本当に思います。みなさんの子どもにも宝物が送られることを、心から応援しています。
羽根木プレーパーク、世田谷プレーパークでプレーリーダーとして働いていた僕が父親となり、我が子が自力で行かれるところにプレーパークがないことに一念発起して地域の人と立ちあげたのがこのはらっぱでした。我が子(娘2人)は、この遊び場で小学校入学の時まで朝から晩まで過ごしました(妻が自主保育を立ちあげ、そこで育ったのです)。その2人はもうすっかり成人しておりますが、その時代を今も懐かしみ「宝物のような時」だったと言ってくれます。親としては他に何もできなかったと思いますが、多くの人と力を合わせてあの場を生み出せたこと、それ以上のプレゼントはなかったと、本当に思います。みなさんの子どもにも宝物が送られることを、心から応援しています。
Re:ありがとうございます☆
こちらこそ素敵な応援メッセージをありがとうございました。
子育て大センパイのみなさんにこうして背中を押してもらえることが、
僕たち新米母ちゃん&父ちゃんズには一番の喜びです。
子どもたちに残せるものは何だろうといつも考えています。
時を経ても変わらない気持ちって何だろうといつも考えています。
そんな宝物をつくりたいと思います。
子育て大センパイのみなさんにこうして背中を押してもらえることが、
僕たち新米母ちゃん&父ちゃんズには一番の喜びです。
子どもたちに残せるものは何だろうといつも考えています。
時を経ても変わらない気持ちって何だろうといつも考えています。
そんな宝物をつくりたいと思います。